jk1wsh’s blog

サラリーマンの無線日記

ブレークタイム 中学生の頃の無線活動

ブレークタイム 中学生の頃の無線活動
 
そもそも、アマチュア無線を始めたきっかけは、短波付きのナショナルクーガーというラジオを親に買ってもらったことに端を発しています。

BCLをやっていて、7メガ辺りのもがもが音が復調できず、気になっていました。
次に、ナショナルプロシードを手に入れ、BFOを被せると、ハムの交信が聞こえました。

これは面白いと思い、すぐに冬休みを利用して電話級の免許を取得しました。
当時のの養成講習会は、時間数が多く、学校が長期休暇の時でないと通えません。
講習会の講師の先生の話しのほうが、学校の授業よりも面白いと感じていました。定年を過ぎた年配の人でしたが、電話級の講習なのに、モールス信号の和文の合調法を教えてくれたりして。

局免は、1978年6月ですから奇しくも35周年に変更検査があるわけです。
まだ中学2年生だったので、無線機を自転車に積んで、自転車モービルをやってみたりしました。ラジオの製作に取材を受けたことがありました。中高生の投稿も多く、JG1KYL●●●OMは、当時高校生で良くラジオの製作に登場していました。
私とも昔、50メガで交信していますが5、6年前位にQSOさせていただいた時に、尋ねましたが覚えていらっしゃらないとのことでした。 
そりゃもちろんそうですよね。あちらは、大勢の人とお付き合いがあるわけですから。
 
昭和50年代は、ハイパワーCBも大勢いましたね。友人で、固定からハイパワーCBをやっている者もいました。
アンテナは大体が、通称:破れ傘 と言われるブラウンアンテナです。アマチュア局はHFは八木が主流ですから
すぐに区別がつきます。モービルは、ヘリカルアンテナを付けている車はほとんどがハイパワーCBでした。
まだ出始めの頃ですから、逆輸入23chの5W機でやっている人が多かったですね。
それに【ガチャコンマイク】やら【スタンバイピー】さらにはエコー付きプロセッサーまで付けてw
リニアもまだ普及していなくて、5WのベアフットではそんなにTVIもなかったと思います。
後に、大変な社会問題に発展したことは知りませんでした。(ちょうどQRTしていて無線界から離れていたので)
私は合法CB機で よこはまUPなんとか というコールサインをもらいました。合法CBも今では申請がいらないようですね。パーソナル無線などは、触ったことすらありませんw