jk1wsh’s blog

サラリーマンの無線日記

40th anniversary

40th anniversary

1978年6月20日に免許を受けてから、40年の歳月が経ちました。
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40年前に免許って…。
もう、リタイヤしていそうな感じですが、幸い若い時に免許を受けまして、
55歳の役職定年までもまだ数年残っております。(平社員同然ですがHi)

中学1年の冬休みに東京蒲田の日本電子工学院会場の講習会で電話級を取得しました。
1月末には従事者免許を申請しましたが、免許がきたのは3月25日。
当時は医師の診断書や戸籍抄本など厄介な書類が必要でした。

そこからまた3ヶ月近く待たされて、漸く待望のコールサインを貰いました。

ギリギリのJK1でした。
同級生たちにJK1はいませんでした。JL1かJM1でしたね。
その時は子どもでしたので優越感がありましたが、
今となっては、どうでも良い話です。
コールが古けりゃ良いというものではないことに、後になってから気付きました。

こんなリグで開局しました。
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当時のリグは、第1次QRTの時に売却処分してしまい、画像のものは後から入手しました。
井上電機のIC-202A。当時は2mのSSBから入門するヤング(笑)は皆無でした。
ほとんどのヤングは、6mか2mFM。ちょっとリッチな(親が)ヤングは、TS-520V。

年上の方ばかりでしたが、対等に扱っていただき、ちょっと大人になった気分でした。

ポータブル機を自転車に取り付けたりもしました。
ポータブル機単体で所謂「ちゃりんこモービル」は他にもいらっしゃったようですが、
私は、7/8λのモービルホイップと10Wリニアアンプ(IC-20L)を搭載。
電源は、小型バッテリーを積んでいました。
ここまで本格的に積み込んだちゃりんこは、全国でも珍しかったと思われます。
しかも、SSBですからねHi

ご多聞に漏れず、高2でQRTしてしまいましたので、第2次QRTと合算で15年簡くらいは離れていました。
大学生の頃は、他に興味があるものが沢山ありましたから、普通の青春時代を過ごしました。
それはそれで良かったと思います。

コンテストに関しては、実は結構前からやっていました。
たまたまですが、平成8年のJARL創立70周年記念コンテストで144MHz神奈川県第1位をいただき、
調子にに乗って、静岡県市町村コンテストやオール千葉コンテストなど、
神奈川県から条件が良いコンテストに出ては良い思いをさせてもらったのが、のめり込むきっかけでした。

しかし、世の中そう甘くはありません。
JARLのメジャーコンテストでは、なかなか入賞できず。4位とか6位とか辛酸を嘗めておりましたHi
漸く、JARLのメジャーコンテストに入賞できるようになったのは、4,5年前のことです。

DXに関しては、自宅を新築するどさくさに紛れて、自立型タワーもついでに立ててからです。
アパマンの頃にも、DX狙いの移動運用はやっていましたが15mバンドSSBオンリーでした。

40年の節目にDXCC Challengeの基本要件も達成できたことは、良い記念になりました。

本日は珍しく、CQ誌を買いました。
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置き場所が狭くなると、古雑誌リサイクルに出してしまうのですが、
この号は、次の10年、開局50周年まで保管しておこうと思います。
どうか、廃刊にならないよう応援しております。(縁起でもないですが)

QSLカードも特別バージョンが間に合いました。
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さまざまなシチュエーションでスーパー移動号が活躍したシーンをまとめました。
なんだか、ASA局やUIU局のパクリみたいですがHiHi

発行が滞っておりましたので、今年の3月位からのQSOはこのカードになるでしょう。
もちろん、コンテストQSO分もこれを発行します。
1,000枚しか発注しなかったので、次の6m AND DOWN分くらいで無くなりそうです。

その6m AND DOWNですが、今になっても移動地、参加部門のイメージが固まらず、
日々、脳内シミュレーションを重ねております。

長文失礼いたしました。
最近、ネット疲れしてきてナイスをいただいた方にも何もお礼のコメントを差し上げられておりません。
訪問者履歴もたまに見ております。
拙blogに訪問くださっている各局、改めて御礼申し上げます。