blogネタねたも枯渇したので、昔話シリーズです。
WARCバンドの存在が無き頃、HFの花形バンドは、20mと15m。
当時は、私は電話級でしたので15mが唯一のDXチャンスがあるバンド。
開局は井上電機のIC-202Aのライン。
2mシングルサイドバンドのみの運用でした。
中学校でアマ免許を持っている先生を巻き込み、無線部を立ち上げました?
…たまたま、無線をやりたい中学の同級生とモービルアンテナを自家用車に取り付けている先生などがいたので勝手に無線部をでっち上げました(笑)
クラブ局も立ち上げ、HF運用もできます。夏合宿(学校で)の時には夜間のHFを聴くことが出来ました。
DXの信号も聴こえてきて、ワクワクしたものです。
HFにも出たくなり、何とか親にせがんで買ってもらったのがナショナルのRJX-715という15m専用のモービル機とGPでした。
10WSSB+GPでは、ろくに飛びませんでしたが、SWLも悪くはありません。
さて、ここからが本題です。
15mPhoneを聴いていると、昼間は南米向けにスペイン語でCQを出すOMが沢山いました。
こんな感じです…
セークー キーンセ メトロス
アキ ハポン キロメトロ ウノ …
カンビオ!
アキ…? 今 夏だよ!と
≪此方は≫の意味です。
私はまだ、悪餓鬼の中坊でしたのでこのようなOM方に勝手にあだ名を付けていました。
『セークー キーンセ おじさん』
です。
和訳すると、CQ 15 おじさん…(^_^;)
失礼千万ですね。今思えば。
でも、陰で付けていたあだ名なので、無線で言ったりはしてませんので念のため。
一人じゃ無いんです。何名もセークーキーンセおじさんはおられました。
36,7年昔のことなので、今頃は天国でCQ出されているかもしれません。良い時代でした。
この手のOMの素晴らしいところは、CQだけではなく、スペイン語ぺらぺら喋ることが出来るのです。
今、電車の中でblog書いていますが記憶が鮮烈に残っておりますのでここまで書けます。
私は ミ アミーゴ (友だち) 位しかわかりませんHi
WARCバンドが無かったものですから、復活後にWARCバンドの重要性が分からず、随分と長い間WARCバンドは2の次と思っておりました。今や、WARCバンド無しではHFは語れませんよね。